
野田山の遠景(泉野出町付近より)
(2002年12月24日撮影)
●概要
野田山は標高175m。前田家歴代の当主・妻・子女や家臣、現代にいたる一般市民、戦没者などの墓があり、山全体が墓地となっている。
天正15年(1587年)に亡くなった前田利家の兄、利久を葬ったのが墓地の始まりだと伝えられている(文献8※)。
山頂付近には前田利家とその妻、芳春院(まつ)などの前田家の墓所がある。これらは、前面に鳥居があり、石柱の墓標が立つ神式の墓となっているが、かっては石廟が建てられていたようである(文献8)。

前田利家の墓所 芳春院(まつ)の墓所
(2002年12月23日撮影)
また、文豪・室生犀星や金沢へキリスト教を広げたトマス・ウィン、日露戦争捕虜のロシア兵の墓地のほか(文献17)、昭和7年(1932年)に上海での天長節祝賀行事で爆弾を投げて日本軍の要人を死傷させ銃殺された戦前の朝鮮独立運動家、尹奉吉(ユン・ボンギル)の墓地もある(文献21)。
野田山のふもとにある大乗寺は、曹洞宗の禅寺(文献17)。加賀の守護職富樫氏が正応2年(1289年)に永平寺三代目徹通義介(てつつうぎかい)を迎えて石川郡野々市に開いたものである。近世に入って加賀藩の重臣本多家の菩提寺となり、本多町の大乗寺坂下から元禄10年(1697年)、今の場所に移ったという(文献22)。
大乗寺周辺の樹林は、金沢市指定の「大乗寺保存樹林」となっている。

大乗寺山門と参道両側のモミの大木
(2002年12月23日撮影)
●アクセス
・北鉄バス長坂台で下車すると大乗寺に最も近い。
前田利久墓所
(2009年5月5日撮影)
※「野田山墓地」(金沢市編、金沢埋蔵文化財センター、2003年、文献121)によれば、前田利家の兄、利久がこの山に葬られたのが最初であるという巷間の説が文献資料からは見当たらない。「金沢古蹟志」は、慶長4年(1699年)に前田利家が遺命によって埋葬されたのが濫觴(起源・始まり)であり、天正以来の碑石は他から移葬したものであるとしている。
2009年(平成21年)に国指定史跡となった前田家墓所周辺の樹林
(2009年5月5日撮影)
林冠は植栽起源と思われるスギのほかアカマツやモミなどの針葉樹が優占しているが、林内はエゾユズリハやハイイヌツゲなど日本海要素の常緑広葉樹のほかコシアブラやツタウルシなどブナクラス域の植物が多く生育し、植物種の多様性の高い樹林となっている。
前田家墓所周辺に多く見られるチゴユリ
(2009年5月5日撮影)
5月の連休の時期には、参道沿いにチゴユリやトキワイカリソウ、バイカウツギやタニウツギなどの草木の花が多く見られた。前田家墓所の史跡としての「整備」に際しては、このような植物の多様性の保全が望まれる。