金沢城公園(1)

石川門
 (2003年6月30日撮影)

●概要 

 加賀百万石前田家の居城であった金沢城址に整備された公園。現在は石川門をはじめとする文化財やスダジイの巨木などが生い茂る本丸園地。そこに生息する野鳥や小動物など歴史・文化・自然が一体となった都市の中のオアシスとなっている(文献2)

●金沢城の変遷と自然

石川門から百間堀を望む
 (2003年6月30日撮影)

 金沢城はもともと1548年(天文15年)に開かれた一向宗(浄土真宗)の金沢御坊(尾山御坊)の跡地に築かれたといわれている。

 1881年(明治14年)1月に石川門と三十間長屋を残して城郭の大部分が焼失した後、戦前には第九師団司令部が設置され、第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)から1995年(平成7年)までは金沢大学のキャンパスとして利用されていた(文献34)

写真左から百二十年ぶりに復元された橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓
 (2003年6月30日撮影)

 その後、自然を残した都市公園として整備され、百二十年ぶりに三ノ丸の橋爪門続櫓、五十間長屋、菱櫓が復元されて、2001年(平成13年)秋に開催された全国都市緑化フェアで公開された(文献2、34)
 櫓の復元の是非については議論されることもなく見切り発車で進められたという
(文献116)

本丸園地の林内の散策路
 (2003年6月30日撮影)

 この地域の元々の植生は、金沢城の築城とその数回の火災と再建によって、本丸地区などに残る大木を除いてはほとんど無くなっていたと思われるが、戦後に金沢大学のキャンパスとなり本丸地区が理学部の植物園となってから自然の植生の復元に努めた結果、1980年代には、本丸地区には自然の森林に近い生態系ができていた。

 しかし、石川県の管理に移って、特に城址公園としての整備が進行した1998年から次第に樹木が伐採され、サンコウチョウやイルカチドリなどかなり貴重な種を含む鳥類の減少や森林の乾燥化によるカタツムリやナメクジ類の減少など生態系の変化が進んでいる(文献34)。かっては数百匹は生息していたアカネズミも近年に入って絶滅に近い状態になっており、こうした自然環境の変化を懸念する声もある(文献84など)

●アクセス

 ・北鉄バス兼六園下下車。
   

●現地紹介

 金沢城址には、まだ金沢大学のキャンパスがあった頃に何回か訪れたことがあったが、初めて本丸園地を歩いたのは、2001年秋に全国都市緑化フェアの時である。その時には大勢の人で賑わっていたので、あまりのんびりと散策することはできなかった。

 2003年6月30日、市街へ行く用事があったので、ついでに兼六園下でバスを降りて、久しぶりに本丸園地を中心に少しだけ林内を散策することにした。

辰巳櫓より広坂、金沢南郊の山々を望む
 (2003年6月30日撮影)

 梅雨の合間の曇り空だったので、丑寅櫓跡からは兼六園や卯辰山といった近接した緑しか見えなかったが、辰巳櫓跡からは野田山倉ヶ岳などお馴染みの金沢南郊の山々がうっすらと見えていた。

本丸園地のスダジイの巨木
 (2003年6月30日撮影)

 本丸園地ではウラジロガシやスダジイなどのヤブツバキクラス域(常緑広葉樹林の林域)の樹種が多く見られ、幹周り3m以上はありそうな巨木も何本もみられる。

 こうした樹林の中に突如としてブナが生育していたり、カラスザンショウやアカメガシワといった先駆性樹種やメタセコイヤなどの外国産樹種が混生している様子はかなり風変わりである。

本丸園地のブナ
 (2003年6月30日撮影)

 なかでもシラカシが生い茂っている隣に突如として一本だけブナの白い樹皮が現れるのはずいぶん異様な光景のように感じられる。

 林床植生もヒメアオキやジャノヒゲ、ツルマサキといった常緑広葉樹林の構成種に混じって、クサイチゴやノイバラ、ドクダミ、ノブキなどといった人里の植物も多く生育している。

 これらは金沢城址の緑が、元々成立していた森林が失われた後に人間の手が加わって復元されてきたものであることを示しているように思われた(「NEXT」へ続く)。

 

 ■引用文献一覧