ここでは、「地図で見る金沢の変遷」((財)日本地図センター、1997年)(文献33)の1:25000の地形図を元に、私の故郷である金沢市額(ぬか)地区における里山の植生景観の変遷を紹介する。
注:図版は、全て(財)日本地図センターの承諾をいただいて、着色、掲載しているものであり、一切の転載を禁じます。
T.調査目的
人里近くの丘陵や低山地に広がる里山は、昭和30年代以降の燃料革命によって放置されるようになり、里山の景観や生物相が急激に変化しているといわれている(文献80など)。しかし、それ以前から人間活動は里山の植生景観に様々な影響を及ぼしてきたと考えられる。
そこで、明治から平成にかけての地形図を元に、「相観植生図」を作成することによって、里山の植生景観の変遷と地域の産業など人間活動との結び付きを推察することを目的とした。
U.対象範囲
金沢市額。旧石川郡額村(馬替、額新保、大額、額谷、額乙丸、三十苅、四十万)に富樫村高尾を加えた約3.5km四方の範囲
V.調査方法
「地図で見る金沢の変遷」(文献33)の1:25000の地形図の地図記号を着色することによって、大まかな「相観植生図」を作成して里山の植生景観の変遷を概観する。
また、文献によって里山の植生景観に影響を及ぼしたと思われる人間活動についてまとめる。
W.植生景観の変遷の概要
それぞれの地形図をクリックすると拡大表示できます。
@1909年(明治42年)頃
・平野の大部分は水田などに利用され、樹林は神社などごく一部。
・山地では、高尾から額谷では鍼葉樹林(針葉樹林)、四十万では闊葉樹林(かつよう、広葉樹林)が広く占める(「1909年(明治42年)頃の額周辺の里山景観」参照)
・高尾の南に桑畑がみられる。
A1930年(昭和5年)頃
・高尾から額谷にかけての山裾に果園(果樹園)がみられる。
・桑畑が高尾から額谷の山裾に広がり、額乙丸や四十万にも点在する。
B1955年(昭和30年)頃
・四十万の山地に部分的に鍼葉樹林(針葉樹林)が点在してみられる(戦後の拡大造林によるものか?)
C1970年(昭和45年)頃
・平野部に宅地が拡大(額第一・第二団地、現在の額新町、光が丘)
・桑畑が消滅して果樹園などに置き換わり、高尾から額谷にかけて果樹園が広がる。
・山地全域で竹林が広がる。
D1994年(平成6年)頃
・水田の激減。平野部から山裾の大部分が宅地や商業地などに置き換わる。
・果樹園の急減。
・高尾の山地において竹林が広がる。
X.植生景観の変遷の要因
額における里山の植生景観の変遷の主な要因を立地別に図-1にまとめた。文献調査の結果は、「植生景観の変遷の要因」の項にまとめたとおりである。
1909年(明治42年)頃の地形図については、さらに広い範囲を対象とした相観植生図の作成を試みた(「1909年(明治42年)頃の額周辺の里山景観」)。
