植林
縄文時代晩期の金沢市のチカモリ遺跡では、クリの巨大木柱根が350本以上発見され、特別な建物跡と推定されている(文献42)。このことからも示されるように人々は古来から木材を利用してきた。
古代においては能登は造船業が盛んで、883年(元慶7年)、渤海船の建造のため能登福良泊の大木の伐採が禁じられている(文献24)。
藩政期には1616年(元和2年)に七木の制が定められて、松、杉、檜、槻(ケヤキ)、栂(トガ)、栗、漆の七種について売買のための伐採を禁止された(文献24)。また、1657年(萬治3年)には、松、杉、その他植付希望のものがあれば苗木を下付する旨の通達が出されるなど造林も行われてきた。
しかし、加賀藩では木材資源は必ずしも豊かではなく、奥州の現在の秋田県や青森県から大量の用材(スギ、ヒバ)の移入が行われた(文献54)。
皆伐跡に植栽されたスギ新植地
(金沢市額谷町、2003年8月10日撮影)
1897年(明治30年)には森林法が制定され、戦後の1952年(昭和27年)には森林法が改正。1957年(昭和32年)の国有林生産力増強計画によって、1960年代から1970年代には、大面積の林を皆伐してスギなどの生産性の高い人工林に転換しようという「拡大造林政策」が大規模に進められてきた(文献45)。
山腹全体にスギが植栽された斜面
(金沢市額谷町、2003年8月10日撮影)
これらは戦後の荒廃した森林の復旧や、高度経済成長に伴う木材需要の大幅な増加に対応してきたが、1964年(昭和39年)の木材輸入の完全自由化や円高基調の為替相場のために木材価格は低迷(文献24、45)。森林育成のための造林事業は後回しにされ、手入れ不足の森林では、雪折れや風倒木被害が多発するようになった(文献45)。
雪圧によって根元が曲がったスギの「根曲がり」
(金沢市額谷町、2003年8月10日撮影)
石川県は多雪地帯であるので、林木が雪に埋まって雪圧によって発生する雪圧害、樹冠部に積もった降雪の荷重によって発生する冠雪害、あるいは雪崩による被害などの林業被害が発生する(文献49)。
雪圧によって根元が曲がったスギの「根曲がり」
このような被害を防ぐためには「雪起こし」で幹を直立させてやる必要がある。
(金沢市額谷町、2003年8月10日撮影)
石川県では1963年(昭和38年)の38豪雪の時にはそれほど林業被害はなかったが、密植方式や手入れ不足が進んだ1981年(昭和56年)の56豪雪の時には大きな雪害を受けたという(文献47)。
石川県内の森林面積は27万9200haで林野率は67%、人工林面積は9万6100haで人工林率は36%。樹種別ではスギ72%、アテ13%などとなっている。また35年生以下の森林が全体の71%を占める(1993年・平成5年、文献24)。
スギ植林
(三王坂遊歩道、2003年7月27日撮影)
スギは若干湿気の多い土地でよく成長するので、主に谷筋や斜面に植えられている。ヒノキは石川県ではスギに比べてずっと少なく、斜面の上方ややや乾燥する土地で植えられる(文献26)。
一般にはヒノキの方がスギよりも土地に対する適応性が強いが、低温の害を受けやすく、東北、北陸地方などの寒冷地では漏脂病にかかりやすい(文献48)。また、ヒノキはスギよりも雪害に弱い(文献49)。
石川県の人工林においてスギの占める割合が特に多いのは、主に北陸の気候的な要因によるものであろう。
1966年(昭和41年)に石川県の県木に指定されたアテはヒノキアスナロの方言であり、東北地方北部から北海道に分布し、建材として優れている(文献46)。
石川県内でヒノキアスナロの自然林と認められているものは、珠洲市若山町白滝と宝立山打呂の2ヶ所あり(文献26)、植林も能登を中心に県内一円に広がっているが、江戸時代に東北地方から能登地方に移入したのがその起源と伝えられる(文献46)。
林床植生の豊富なスギ植林
(金沢市四十万町、2003年8月4日撮影)
間伐や枝打ちなどの手入れが行き届かなくなった植林は、林床が暗くなって林床植物が欠乏し、生物の多様性が低くなるとともに、土壌が雨滴の直撃を受け、表層土壌が流亡しやすくなり、土壌保全や水保全の上で問題となる(文献49)。
こうしたことから植林においても、木材生産重視から水源涵養機能などの森林の公益的機能を重視して森林管理の重要性が見直されている(文献45、49)。
景観に配慮して木質パネルを活用した砂防ダム
(金沢市額谷町、2003年8月10日撮影)
近年では公共事業においても間伐材などの木材の積極的な利用が試みられている。